旅するチェリスト水谷川(みやがわ)優子のブログ

2006-01-31 Tue 23:42
ただいま!
昨日はフランクフルトの空港で日記をアップしたつもりが…見事に失敗!消えておりました。焦っては何事も上手くいかないものだなあ。

という訳で本日、日本に戻って参りました。さっき家に着いたばかり…猫達に挨拶して、軽くビールでお刺身と海藻サラダを食し、郵便物に軽く目を通し…でもまだ荷物も開けてない状態です。大きいスーツケースが明日の朝届いてから荷物の整理しようっと…。
明後日は合わせと打ち合わせ二件が入ってるので、明日くらいはゆっくり過ごそう。

先日、マイナス20℃(ロシアの大寒波が押し寄せて来た)を記録したベルリンの寒さとは比べられないけれど、なんか日本も寒そうですね。昨日は小春日和だったらしいのに、何処にいっちゃったの…やはり春はまだまだかな。

今の気分はこんな感じですが20060131233311.jpg
(ベルリンのポツダマー広場の上をゆく気球)

何しろ外がこんななので…CIMG0029.jpg
(ドイツ・中部地方の昔ながらの家の窓)

こんなところかな…ぽかぽかの日だまりを待っています。CIMGspain.jpg
(スペイン、モンセラの山に住む猫達)
暫くは、日本におります。
どうぞまた宜しく!

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2006-01-24 Tue 00:48
カフェ&カフェ2
今日が一体何日なんだかわからないほどの集中リハーサルも数日目となりました…

さて、17日の日記の続編です。
ウィーンに負けぬ文化の歴史を誇る都市<ベルリン>。
ヨーロッパでカフェが大流行したのは1920年前後ですが、その頃のベルリンには軽く500軒を超える店が存在したそうです。文学、演劇、画壇…ありとあらゆる職種の文化人が寄り集まり、各々の芸術論を熱くぶつけ合う場所が当時のカフェ…真の文化の発信地であったといえるでしょう。(その頃ベルリンにいた祖父もカフェに通ったのでしょうか??)
そういえばパリでは、その昔に売れない絵描き達がお金の代わりにスケッチを置いていったというカフェが何軒も残っています。彼ら貧乏画家達も現代においては巨匠…こうなると店主がスポンサーの様なものですね。ベルリンでもコーヒー1杯で半日たむろし、支払いはツケというのも通常だったらしいし…

日常の時間の流れが忙しくなった今、流石に半日カフェで過ごす人は皆無でしょうけれど、実際にベルリンのカフェではゆったりと過ごすことが出来ます。友達と話し込む人、ぼおっと窓の外を眺めている人、分厚い本を読んでいる人など、それぞれ寛いでいますが、ウェイターやウェイトレス達はお客の注文の品を運んだ後にやたらとテーブルに寄ってくることがありません。追加の注文がある時はこちらが軽く手を振って来てもらうので、お互いに何となくテリトリーを侵さない…といった感じです。まあ、たまにローマのカフェなどでは、お客がウェイターに忘れ去られてじっと待つ、なんて事もあります。国によって微妙にルールが違うのもカフェの楽しい部分です。

カフェ・アインシュタインにて
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ベルリンのカフェは夜遅くまで開いています。気の利いたメニューや美味しいワインを置いているところも少なくないので、私にとっては特にコンサートの後、食事や軽く一杯飲むのにバーやレストランに行くよりも気軽で便利です。
朝9時から夜中の1時まで、金曜、土曜は夜中の3時、無休、さらにクレジットカードは受け付けない…というのが典型的なベルリンのカフェと言えば、雰囲気はわかっていただけるでしょうか。
最先端のインテリアでお洒落な店、店主の趣味が滲み出た個性的な店、そして昔から在ってこれからも在り続ける歴史を背負った店…地区によってお店の傾向がガラっと変わるのが今のベルリンの良い所です。
我が家はあるものの、じっくりと過ごすことが当面無さそうなベルリン生活ですが、戻る度に小さな発見があって新鮮な喜びとなります。恋しく思う事はあっても、飽きる事は無さそうな街であります。
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2006-01-21 Sat 23:54
途中経過報告
今日から優雅なベルリン生活も終わり、一週間の演奏旅行に出ます。そして最後のコンサートの翌日には日本行きの飛行機に…
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2006-01-17 Tue 23:53
カフェ&カフェ
さて、この扉は何処に繋がっているでしょうか?20060124232943.jpg

答:ベルリンのとある<カフェ>
ヨーロッパの日常生活ではカフェの存在が大きなもの。
友人との待ち合わせや、仕事の打ち合わせ、飲食などの具体的な目的や用事が無くても、雰囲気と心地良さを求めて人が立ち寄るのが、愛される<カフェ>。
どの国でもカフェ文化というものがあり、実際にカフェが文芸、演劇などの発信地ともなっています。

今日はここ、カフェ・アインシュタインに行って久々にそれを思い出しました。ここはウィーン流のお店で、オーストリーに長く住んだ私にとっては懐かしいスタイルのお店。(ちなみにアインシュタイン・カフェというコーヒー店があるそうですが、これはスターバックスの様なチェーン店だそう、まぎらわしいですね。)20060124232914.jpg

ザルツブルグに住んでいた頃は、カフェ無しの生活が考えられませんでした。
オーストリーではカフェが大体がマルチな存在で、朝早いところは07:00くらいに店が開き、スーツの紳士方が優雅にコーヒーを味わっている姿が目立ちます。朝御飯はクロワッサンや黒パンを出す所も有りますが、一般的なのはゼンメルという丸い白パン。それにはアプリコットのマーマレードがぴったり。一回使い切りサイズの小瓶が付いてくるところが多い。バターと一緒に出て来ます。スタンダードな朝御飯はこれにコーヒーが付いたもの。その他チーズやハム、卵料理なども有ります。
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午前中の穏やかなコーヒータイムが過ぎると、お昼前からランチを取る人たちで混雑、午後はお菓子(オーストリーでは特に)を楽しむ老若男女が集まり、夕方からは仕事帰りにビールを飲む人、コンサートの前にワインやカクテル、軽い食事を取る人などで混み合います。20060124233004.jpg
オーストリー風カフェの特色はなんといっても、まず新聞でしょうか。新聞は通常、木で出来た<新聞はさみ>にエレガント収まっています。紳士はカフェで2、3種類の新聞にゆっくり目を通すのです。
次はお菓子!ご存知アプフェル・シュトゥルーデルやザッハートルテ、マラコフトルテ、エステルハージィー・シュニッテ、グーグルフップ等の伝統的オーストリー菓子の他、旬の果物を使った物やナッツのトルテ等のケーキなどが並び目移りします。古いスタイルのカフェではケーキ売りの人が全種類のお菓子を載せた銀のお盆を首から下げて(昔の駅のお弁当売りみたいに?!)席まで見せに来てくれます。
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ウィーン子を誇る友人の話しに因ると。コーヒー一つとっても、煎り方、入れ方、ミルクの量、濃さにこだわって、その日に相応しいコーヒーをじっくり選ぶのがウィーン流だそう。
話しは次回カフェ2に続きます。
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2006-01-12 Thu 06:12
シェーネベルグ便り 其の2
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さて、この方はどなたでしょうか?
そう、JFK…古きアメリカのヒーロー的存在だったケネディ大統領です!

私、迂闊でした。この前の日記でシェーネベルグの市庁舎にちらりと触れましたが、まさかまさか、あのケネディの『Ich bin ein Berliner(私はベルリンの市民である)』の演説がここで行われたなんて!我が家から歩いて数分の所なのです。
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1963年6月23日の証拠写真。お隣は西ドイツの初代連邦首相を務めたアデナウアー氏。(1933年当時のナチ党に反対したため投獄された事も有る方。気骨のあるお顔ですね。亡くなって40年近いのに人気は衰えず、2003年は『ドイツの歴史を通じて最も偉大な人物』に選ばれたそう。)

ご覧下さい、この人の山!
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1961年8月13日にフルシチョフによって建設されたご存知<ベルリンの壁>…それによってベルリン市は東西真二つに分断されました。陸の孤島に住む事を余儀なくされた西ベルリンの人々が、どれだけこのケネディーの来訪に期待を寄せていたか、写真から伝わって来ませんか。

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記念碑

ケネディーが部分的にドイツ語で行った歴史的演説は、A4版の紙の上半分がタイプ、下半分が手書きという草稿が残っています。ケネディーはドイツ語が出来たわけでなく、ドイツ語が英語表記で書かれているのですが(日本語のフリガナみたい)迫力があります。

『私はベルリンに来て嬉しい!私はドイツに来て、嬉しく思います!』とドイツ語で始まった演説。中は英語になりながら『2000年前の人々は最大の誇りを持ってー私はローマ市民である("civis Romanus sum")と言いました。そして今日、私はひとりの自由世界の人間として、今ここで次のことばを述べるのに最大限の誇りを感じます<私はベルリン市民である”Ich bin ein Berliner.”>と!」
東西が一触即発という中で、この時にこれほどに市民を励ます言葉はなかったでしょう。
このケネディー来訪の日は朝から晩までリアス放送局によって中継放送され、東ベルリン市民も聞く事が出来たそうです。(ベルリン市長もラジオで『東ベルリンの皆さん、私たちは最後までがんばりましょう!』と呼びかけました)
でも、その後こんな長く壁が存在するなんて、その時の誰が想像できたでしょうか?それが今は殆ど跡形も無くなっているのも…時代とは不思議なものです。
自分の生まれる前のことなのに私がこの時代のベルリンに興味を持つのは、この頃ベルリンに留学していた両親の影響だと思います。色んな事を聞いて育つうちに、まるで自分も体験したかの様な気がしてくるのです。

実は今週、放送局の都合で予定が延期になって、思いがけずベルリンで過ごす事が出来ています。練習の合間に、この町のあちこちで祖父や両親の青春時代を思い浮かべるのは私にとって最高に贅沢な時間です。

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シェーネベルグ便り 其の2の続きを読む
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2006-01-09 Mon 23:33
シェーネベルグ便り
お寒うございます!
日本も何やら大寒波との事…皆様、お風邪などおめしではありませんか?
こちらベルリンでは連日マイナスが続き、零下1、2度くらいでは暖かいと思う程です。雪も溶ける時間が無くて、このとおりの氷に変身。shoe1.jpg

事故防止のために公道は雪よけの塩が撒かれますが、公園などは自然のままでスケートリンク状態。私の様な雪国の素人は、裏がギザギザの靴でないと滑って危険です。(こうツルツルだと半端でない転び方をします。<ひっくり返ったカブトムシ状態>のおばあさまが通りすがりの人に救助されるのは日常茶飯事。皆さん厚着なので怪我には至らないらしい)
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こう寒くなると中がふかふかの暖かいブーツ、そしてコートもムートンやダウンコートが必需品。日本の様に湿気が無いので、外に出た瞬間に寒さが身に凍みる事は無い代わりに、数分後には体の芯から冷えているという恐ろしい寒さです。
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という訳で着膨れておりますが、今日ご案内するのは家の近くの公園のRUDOLPH-WILDE-PARKです。私が住んでおりますところはSCHOENEBERGーシェーネベルグーというベルリン市の南の区で、偶然にも私の祖父が1920年代に住んでいた場所。(ENNE!! 迂闊にも父に言われるまで気が付きませんでしたが、祖父・近衛秀麿は「シェーネベルグ日記」という書き物も残しています) 
歴史の古いこのシェーネベルグ地区、昔は独立した市であったそうです。
何しろ丁度一年前に引っ越しをしたものの、去年のベルリン滞在が合わせて二ヶ月に満たない位で…知らない事だらけ。いつか、祖父の足跡も追ってみたいものです。
公園のシンボル、金の鹿。百年近くもここで人々を見守っています。shoe22.jpg

向こう側に見える柱の下は地下鉄(U-BAHN)の駅です。
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この下が半地下の駅。そういえば二枚目の写真のバックの時計台のある建物はシェーネベルグの市庁舎です。
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駅の裏側の池は凍って子供達のアイススケート場と化していました。この氷が溶け出したら春の兆しかな。ベルリンの春の到来は遅そうです。
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2006-01-06 Fri 04:58
kaputte kirche=カイザー・ヴィルヘルム記念教会
ベルリンに戻って来ております!20060110025434.jpg
という訳で今日は旧西ベルリンのシンボルともいえる教会(プロテスタント)を御紹介。壁が崩壊するまでの中心街<クーダム>の真ん中にそびえ立つ、この<カイザー・ヴィルヘルム記念教会・Kaiser-Wilhelm-Gedaechtnis-kirche>は1888年に死去したドイツの皇帝(カイザー)ヴィルヘルム一世の為に建てられたネオ・ロマネスク様式の教会で、建設には1891年から95年の4年間かかりました。
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入り口
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下記の写真をもう一度よくよーくご覧下さい。教会の先が欠けているでしょう?第二次世界大戦中(1943年の11月23日)に爆撃を受けて、この形になりました。今は60メートルくらいの高さの、この教会。聞く所によれば完成当時は100メートル近くあったそうです。berlin1.jpg
廃墟と化していた教会の復興第一歩として、1956年にやっと入り口等が修理され、続いて教会としての機能回復を目指して建物を再建する為にデザインが募集されました。ところが9人のドイツ人建築家の内6人までが新たな教会を建てるという案を出し、選ばれたeiermann氏の作品も、この壊れた教会(kaputte kirche)を完全に取り壊すというものでした。
それに反対した市民は「教会のこの姿を後世に残して欲しい」という趣旨の熱烈な手紙をベルリン新聞社に投書。集まった手紙はなんと47000通にも上るもので、復興委員会が激しい討論の末にeiermann氏に古い部分を生かした教会を建てるデザインの再考を申し込み、受諾した氏は「戦争を体験した人々の事を新しい世代が理解してくれる事を望んでいる」という意見を表明したという事。写真の隣接する近代的な塔が1961年に出来上がった新しい教会です。遠くから闇夜に青白く浮き上がって見えるこの塔も、日中は建物内部に光が満ち溢れて、また全く違う印象になります。

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これはクリスマス前の華やかな写真。私は初めてこの教会を見た時、広島の原爆ドームを思いました。壊れているけれど生きている、その姿は時を止めているみたい。この町の無くてはならない存在です。
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2006-01-03 Tue 22:57
ルガノより
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姉達の住まいから歩いて5分の公園で…
なにせ彼らの家は湖のほとりに建っていて、私は毎朝LUGANO湖に反射する太陽のまぶしさに目を覚ますという具合…湖と、それを囲むように聳える山のパノラマは、冴えていても霧がかかっていても絵の様で、景色に隙が無い。流石スイス。

姉の子供達にも最高の環境で、小学校と幼稚園は歩いて10分とかからないし、道を歩くと担任の先生とばったり…公園へ行けば必ず友達が、といった感じ。姉曰く『町じゃなくて、村ね』だそう。そんな中でのんびりすくすく育った彼らは無邪気で、心も体も健康そのものです。
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たまにしか来ない<yuko>が自分たちのママの妹=おばさんという観念がやっと出来てきたらしい彼ら…谷川俊太郎さんの詩じゃないけれども、子供は成長するのが早いなあ…大人も頑張らなきゃ。
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ミニですが、姉の家の真ん前で…
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こうして私のスイス休暇は幕を閉じました。今日ベルリンに向かいます。私は左から二番目、一番小さいのはソリの乗り過ぎで遭難寸前の甥です。
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2006-01-01 Sun 00:01
2006!
明けましておめでとうございます。20060101082641.jpg
スイスの雪山から「この新しい年が皆様にとり素晴らしいものとなります様に!」心よりお祈り致します!
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2006年は一体どんな年になるのでしょうか?願わくば、世界中で少しでも旧年中よりも悲しいニュースが減ります様に。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます!

水谷川優子
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