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水谷川優子のチェロ弾き旅烏日記

シェーネベルグ便り 其の2

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さて、この方はどなたでしょうか?
そう、JFK…古きアメリカのヒーロー的存在だったケネディ大統領です!

私、迂闊でした。この前の日記でシェーネベルグの市庁舎にちらりと触れましたが、まさかまさか、あのケネディの『Ich bin ein Berliner(私はベルリンの市民である)』の演説がここで行われたなんて!我が家から歩いて数分の所なのです。
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1963年6月23日の証拠写真。お隣は西ドイツの初代連邦首相を務めたアデナウアー氏。(1933年当時のナチ党に反対したため投獄された事も有る方。気骨のあるお顔ですね。亡くなって40年近いのに人気は衰えず、2003年は『ドイツの歴史を通じて最も偉大な人物』に選ばれたそう。)

ご覧下さい、この人の山!
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1961年8月13日にフルシチョフによって建設されたご存知<ベルリンの壁>…それによってベルリン市は東西真二つに分断されました。陸の孤島に住む事を余儀なくされた西ベルリンの人々が、どれだけこのケネディーの来訪に期待を寄せていたか、写真から伝わって来ませんか。

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記念碑

ケネディーが部分的にドイツ語で行った歴史的演説は、A4版の紙の上半分がタイプ、下半分が手書きという草稿が残っています。ケネディーはドイツ語が出来たわけでなく、ドイツ語が英語表記で書かれているのですが(日本語のフリガナみたい)迫力があります。

『私はベルリンに来て嬉しい!私はドイツに来て、嬉しく思います!』とドイツ語で始まった演説。中は英語になりながら『2000年前の人々は最大の誇りを持ってー私はローマ市民である("civis Romanus sum")と言いました。そして今日、私はひとりの自由世界の人間として、今ここで次のことばを述べるのに最大限の誇りを感じます<私はベルリン市民である”Ich bin ein Berliner.”>と!」
東西が一触即発という中で、この時にこれほどに市民を励ます言葉はなかったでしょう。
このケネディー来訪の日は朝から晩までリアス放送局によって中継放送され、東ベルリン市民も聞く事が出来たそうです。(ベルリン市長もラジオで『東ベルリンの皆さん、私たちは最後までがんばりましょう!』と呼びかけました)
でも、その後こんな長く壁が存在するなんて、その時の誰が想像できたでしょうか?それが今は殆ど跡形も無くなっているのも…時代とは不思議なものです。
自分の生まれる前のことなのに私がこの時代のベルリンに興味を持つのは、この頃ベルリンに留学していた両親の影響だと思います。色んな事を聞いて育つうちに、まるで自分も体験したかの様な気がしてくるのです。

実は今週、放送局の都合で予定が延期になって、思いがけずベルリンで過ごす事が出来ています。練習の合間に、この町のあちこちで祖父や両親の青春時代を思い浮かべるのは私にとって最高に贅沢な時間です。

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