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ベルリン 壁 9.11.2019

ただいまヘルシンキにてフライト待ち

ベルリンから飛んできたら乗り換え便の日本行きの飛行機にアクシデントがあった模様。

いま空白の7時間を空港で過ごしております。
まさかの深夜便になってしまった。。

その代わりよく眠れそうです。
さて、眠るといえば、、
この度は久しぶりのベルリン自宅生活を存分に満喫!心も身体もリフレッシュできました。

ずっと同じ枕で眠りにつく幸せよ
自宅連続12泊

早く寝て早く起きて(例の工事は毎朝07:30からあった)健康的でした。
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朝起きたらまず豆乳でカプチーノ
曜日によっては散歩がてら市場へ旬のものを買いに。ときにはブランチで人気の屋台でガレット↑フランス人のお兄さんが心をこめて焼いてくれるクレープも絶品!
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日中はマークはレッスン、私は譜読みとたまっていた家の片付け、工事のおかげで逆にいつも後回しにしていた書類の整理にも着手できたし。
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(母方の曾祖父が船旅に持っていったカクテルケース、昔は何においても優雅だったんだなあ)

そして読書タイムも。私は日本では落ち着かなくてエッセイ本しか読めないのです。ひさびさに分厚い本を抱えてどっぷりと小説の世界に浮遊していました。

我が家は道路から離れて中庭に面しているためか非常に静か、雨の音も綺麗にきこえます。

そんなときはフィンランドの森の家が近くに感じるのです。
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あとは料理、いまはゲームの季節なので猪肉をよく食べました。素晴らしい子羊、それから定番の鴨、新鮮な魚も手に入ってピスコ酒で蒸し焼きもしたな。
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もちろんシンプルにワインとチーズだけ、の夜も楽しみました。なんてシンプルだけど贅沢なんだろう。
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で、食べすぎると、翌日のお昼はサラダ、、、
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そんな穏やかで規則正しい生活をしみじみ味わって、マークは今朝一番でアメリカへ、そして私は日本。また離れ離れですが、やるべきこと、やりたいことに全力を尽くして師走を迎えたいと思います。

11月はトリオ ソ・ラで全国6都市
あとソロではクローズドで2公演
それが終わると師走はヨーロッパです!

いまはとりあえず、ソ・ラの曲で頭はいっぱい。

今回の目玉作品のひとつ、ジェニファーヒグドン作曲「ファイアリー・レッド(燃えるような赤)」はショスタコーヴィッチ並みのリズムの嵐!

名前からしてクール
これをかっこよく弾きたいものです!!


さてさて、今日11月9日は「ベルリンの壁」崩壊から30年という日でした。
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ベルリンの平和の象徴↑壊れた教会

ここでベルリン市民として触れておきたいお話をさせてください。

先日、我が家の天井の工事に携わっていた「親方」は生粋のベルリンっ子だそうで (3代まで遡ってベルリン人、江戸っ子みたいですね) 30年前に壁が崩れるまでは「東ドイツ人だった」と話してくれました。
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(職人さんたちとのやりとも暖かく、純朴=ザ・ドイツ人な親方でした。なんだか懐かしい感じ)

当時の人々はベルリン市内を分断する壁の建築が行われているのは知っていたけれど
「壁」の存在自体はある日突然あらわれた

まさに青天の霹靂だったそうです。

そのとき親方はまだ小さくてご両親は市内のやや東側に出勤してらしたそう。その日も彼はおばあちゃまと2人でお留守番をしていたのです。

-いつものように仕事に出た親たちは帰って来られなかったんだ-

穏やかな人のさりげない言葉のなんと重いことか

ほどなくして彼が小さかったことで、彼だけ東側の両親のもとへ行く許可が出たそうで、、でもおばあちゃまはそのままでした。東の人が西に移るのはあり得ないことだったのですね。

1961年から1989年まで「壁」は本当にそこにあったのです。

それがどういう存在であったか、 60年代に西ベルリンに留学していた両親に、私は幼いころから何度も聞かされていたのですが、いまもベルリンの街を歩けば、風化しない何かが伝わってきます。

「壁」を脅威的にしたのは
物理的な壁よりも 目に見えないもの。

人々を分断したもの
いまも分断するものの罪を思います。

本日のメルケル首相のスピーチをすこしご紹介します。自分流に訳してありますが、お許しください。

. "Ich erinnere an die, die an der Mauer getötet wurden, weil sie die Freiheit suchten"
私は覚えています
自由を求めたために 壁のところで殺された人々のことを

"Ich erinnere an die, die unterdrückt wurden und ihre Träume begraben mussten",
私は覚えています
抑圧されて、夢を埋葬せねばならなかった人々のことを

"Keine Mauer, die Menschen ausgrenzt und Freiheit begrenzt, ist so hoch oder so breit, dass sie nicht doch durchbrochen werden kann."
人々を排斥し 自由を制限する壁
それがどんなに高かかろうが どんなに広がっていようが 

私たちに打ち砕けないものはないのです


東ドイツ出身の首相の言葉には
心の中に楔が打ち込まれるような力強さがあります。

風化させられる訳がない
ベルリンの「壁」は「あなたはそれで良いのか?」と語りかけてきます。
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夜も更けてきたせいか
ちょっと気持ちが昂ってしまいました。ごめんなさい。

もう少ししたらゲートに向かいます。
長い1日、今夜は機内でよく眠れそう。
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yuko miyagawa
Posted byyuko miyagawa