朝起きていつものように日本のニュースをチェック、そして志村けんさんが亡くなったことを知る。
まさかの訃報に一瞬手が止まる。
新型コロナで亡くなる方があるのはわかっていたけれど
志村けんさんは他のご病気や免疫力が落ちてらしたというのは分かるけれど
長きに渡って人前に出てらしたのでなんだか「ずっといるはず」の人だった。
その命がこんな風にさっと奪われると
これが現実なんだと思い知らされる
『8時だよ、全員集合』はよく親の目を盗んでこっそり観たものだ。
大人が真剣に全身で人を笑わすことに
そのチームワークに
大掛かりな舞台転換にワクワクした。
中でも志村さんのことは子供心に「この人はきっと良い人だろう」と思ったのには、彼の芸風が人のことを貶めるものでなかったところが大きいと思う。
またはそう感じさせなかったのか。
そういう役割だったのもあるだろう。
率先して自分のことを落として笑わせる。
彼が人に「お前さんはまったく馬鹿だねえ〜」と言っても、そこには悪意ではなく愛情を感じた。
-俺が俺が-というエゴが感じられなくて、飄々としているのが心地良かった。
子どもだけど、、いや、子どもだから敏感なのだ。
あとメガネでなんとかく父に似てると思ったのもあった。父は即否定したけど。笑
たったいま日本にいる友人から
「志村どうぶつ園もだけど、8時だよ全員集合だよね、、、一緒に歳を重ねて生きてきたような気がして、、、知り合いのおじさんが亡くなったくらいショック。」とLINEが来た。
そう、自分が思ったよりショックを受けているし
何よりも悲しい
知らない人なのに心に穴があいたみたいだ
たくさんの人にとってさりげなく大切な存在だった志村けんさん
心から感謝を申し上げながら
深くご冥福をお祈り申し上げます。
ここから思うのが
直接にお目にかかったこともない志村けんさんにこんなショックを受けるのだから、これが知人、友人、そして家族だったら、ということ。
もし自分がウイルスを運んで人に、ましてや親にうつしたりしたら、と思うだけで未だに恐怖で胸のあたりが痛くなる。
でもだからこそ、元気な人は自分の身を守りながら=大切な人を守りながらもなんとか前に進まないといけない
いま日本より一歩先に外出制限が行われている国にいて、そのこと=前に進むことの大切さを痛感している。思考がとどまってしまわないこと。
いまドイツでコロナと同じくらい心配されているのは外出制限が精神衛生に与える影響。そのために政府の政策に懐疑的な声を上げている医師たちもたくさんいる。
もちろんウイルスが広がらないよう行動には気をつけなきゃいけない
でも内側から元気がなくなったら免疫力は確実に落ちる
そしてフランスの一部ではすでにDVが問題になりつつあるという。皆が不安でイライラしたら家庭内の言い争いも増えるかもしれない。外で遊べない子どもたちのストレスはさらに心配だ。
外出制限の禁止事項が私たちの精神と肉体にかけるプレッシャーは恐ろしい。
だから補償のことを別にしたら、日本は制限でなくて自粛に留めて欲しいと心から思う。
政府からの制限は、他を慮ることをせず、個人で勝手なことをする人々を規則で抑えるためのもの。
思慮深く行動する人ばかりならば不必要なのに、などと非現実的なことを思っても、それはいま夢想でしかないのだろう。
前に進む、思考を止めない、、、
明日の補償もはっきり見えないところでそんなことを言うのは、フリーランス音楽家である自分を鼓舞するためなのだけど、、いまは自分の手に握れない明日を憂うエネルギーがあるのなら、せめて思考を止めず、生きなきゃと思う。
マークの私の2人きりの小さな家族はとりあえず元気です。
毎日美味しく食べられることに感謝しながら生きています。これも音楽のおかげです。
昨日までのベルリン 3/29 (日) 22:20
感染者数 2462名(前日より125名増えています)
亡くなった方 11名(昨日より2名増えています)
入院している方 312名(70名 重篤)
いままで845名の方が完治したということです。