なんと4月から更新なし
数秒だけ目の前が真っ白になりました。申し訳ない。。。
この間は言葉にできないことや言葉にならないことがあまりにもたくさん。
ここで心を形にするような文を書くことが出来ませんでした。
でも今朝起きたらキツツキが大きな木の上の方でせっせと働いていたので
その幹に手を当てて振動に身を寄せていたら、突如思ったのです。
「よし、ブログ書こう!」

(白樺の陰にニョロニョロの姿が見えそう)
そんな大袈裟なことではないし
大したことは書けないけれど
ここの空気を感じながらしか綴れないことがあるかもしれない。
そう、FacebookやInstagramを見てくださっている方はご存知ですが
6/19よりフィンランドの無人島に住んでおります。

毎夏、ときには冬や春にも来ているマークの心の故郷
いまや私の帰るところでもあります。

(到着時、ヘルシンキの空港をでたら誰もマスクをしておらず、びっくりのフィンランド)

(移動中↑ベルリンでの生活もふりかえったら実はけっこう緊張してたんだなあと、ヘナヘナしてる頃)

といっても実はもうあと数日で日本に向かうところなのです。。。
2週間のつもりで戻ったヨーロッパ生活はなんと5ヶ月半ちかくになりましたが
やっと日本!!
8月25日の東京でのコンサートはオンライン配信になりますが
29日は人数制限などはありますが鎌倉で弾かせていただきます。
(詳しくはHPをご覧くださいまし。
美味しい枝豆やお豆腐も恋しいけれど、演奏させていただけるのは何より嬉しい。

素朴で飽きないフィンランドの菓子パンシリーズ
おばあちゃまの味というか 気取らずしみじみと美味

甘いものばっかりになってしまった。。

↑ワッフルのクラウドベリーかけ

どれだけ食べてるのか、、ちょっと冷や汗が。
次の日記ではごはん系をご紹介せねば。。。
そうそうここフィンランドの景色や無人島暮らしを皆さまにお目にかけたいと撮りためた写真も1000枚越え、、
いつか日の目を見る日が来ますように。
さて私は初めてこの小さな小さな島を訪ねてから今夏で20年となりました。2000年かあ、、、近いような遠いような。

ほぼ毎晩のように夕焼けを撮っています。これは着いた日。
6/21は久しぶりに白夜で【陽が落ちない国】を実感。日本は日出る国だけど

水は鏡なんだと教えてくれたのはここでした。
サイマーはフィンランドで一番大きい湖なのですが、4、400k㎡ってどれだけ巨大なのだろう。
日本でもっとも大きい琵琶湖は670.3k㎡ですって。
それにしても、ここの自然はいろんなことを教えてくれます。
来たときに森のあちこちに咲いていた花は姿を隠し
木苺から7月の終わりからブルーベリーに野苺、いま少しずつリンゴンベリーもちらほら
森が 湖が 鳥たちや動物が
何よりも空と雲が季節の移り変わりを示してくれる。
2度と同じ夕陽はないんだと
無言の教えです。
夏のはじめに赤ちゃんが生まれた鴨のファミリーは相変わらず仲良し、、、

(なんだか小鴨に存在を無視されるマーク)
われわれも仲良く
親友・音楽仲間・家族として毎日毎日どうあるべきか、どうするべきか語り合っています。

(マークは無人島バージョン髭姿)
何があっても
人間としての歩みを止めるわけにはいかないですものね。
2月末から毎日毎日ずっと頭がくるくるするまで色んなことを考えてきました。
答えがでないのに同じことを繰り返し繰り返し、、
感染した方のこと
命を落とされた方のこと
そして老人施設や医療関係の方々のこと、、、
個人的なことを書くとコロナの影響で中止になったコンサートは日本をはじめとしてドイツ、フランス、イタリア、フィンランド、エジプトと
来年の春まで予定されていたものはほぼ全て中止となっています。
それだけ世界中が厳戒態勢でウイルスが蔓延するのを防ごうとしているということ。
それをきちんと受け止めながらも
いままで生演奏でコンサート会場に足を運んでくださった方と空間と時間を共にするために
チェロを弾いてきたと自負していたので
コンサートが消滅していくのは恐怖でした。
当然ながら収入への不安もあります。
今までどこの組織にも所属しない一匹狼の生き方をしてきたリスクもありました。
けれど自由を選んだことは一生後悔しないし
過去に戻っても違う生き方は望まなかったと気がついたのです。
そして自分の存在が無くなってしまうわけではない。
いままでと違う形になったとしても演奏を続けることはできるし
できればご縁ある若者や若い演奏家のお役にも少しでもたちたい。
ここフィンランドの森の中でお腹の底からそんなことを実感できつつあります。
いまここに在ることへの感謝は減りません。
ちゃんと警戒しながらも、不安や恐怖に飲み込まれて生きたくない。
たった一度の人生を慈しみながら、できることを形にして音楽に反映していきたいと思います。
そう思えるようになったのはやっぱりチェロとの体験のおかげ
では次のブログはフィンランドの師たちについて
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