告白 ーはじめの一歩ー

またまた時間が経ってしまいました。ごめんなさい!

日本からベルリンに戻り、数日過ごした後はデュッセルドルフにてチェロ・アンサンブルの合わせをしてイタリアのトリノへ。その後、スイスの姉一家のところに寄り、昨晩、再びドイツ・デュッセルドルフに戻って来ました。
この土曜日にはオランダに行って、日、月がコンサートです。

久しぶりのトリノでは旧友達<私の滅茶苦茶なイタリア語にも関わらず、昔から心が通じあう仲間達>と二日間を過ごし、10年前に初めてこの地を訪れた日の事を懐かしく思いました。

実は7月3日のコンサート以来、特にこの数日間、私は過去を振り返っていたのですが、トリノで友人の一人に『初めて会った頃、ユウコはおきゃんだったわねー!じっとしてられず、いつも感情があふれてた感じ』と言われ、当時を思い出しました。95年といえば、まだ学生(ザルツブルグに留学中)、エネルギーに溢れて怖いもの無し…自分をコントロール出来ず、本当に危なっかしい子供でした。自分が正しいと思えば何にでも飛び込んでいく、その無鉄砲な生き方は、今思い出しても非常に無謀で、もし、生まれつきの動物的勘が鈍かったら、もしくは運が悪かったら、目も当てられない事になっていたと思います。
10代の頃の<何かを求めるも、みつからない、何を求めているのかすらも、はっきりしない、いてもたってもいられない>という自分に対する焦燥感が、留学後一旦収まるも、もっと微妙に、更に深い形で表に出てきたのが、この頃なのです。その、避けられぬ問題はチェロを通して少しずつ私に疑問を投げかけてきました。
例えば、ある時は舞台の上でチェロと音楽と自分とが自然に一体になるも、次の日のコンサートでは又全く違うコンディションで、チェロに近づこうとすればする程に遠くなる…等。
練習量の問題でなく、自分の中の何かをはっきりさせないと進めない、と思った95年の夏でした。
何の為にチェロを弾くのかー<何の為に生きるのか>ーを初めて深く深く自分に尋ねたのはこの時、そして<未熟である自分>から目を逸らさない事を、この頃から少しずつ覚えました。
自分を知って、その自分を超えていく、と言葉にしたら、あまりにも抽象的ですが、チェロを鏡にして自分を理解し、その超える行為をも実際にチェロで行う事が出来るのは、なんと有難い事なのか。それをトリノで思い出しました。

今は、今度の日曜日にオランダの音楽祭で弾くバッハの無伴奏組曲を、一音一音、新鮮に感じながら練習している毎日です。




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Category: 海のこっち側で
Published on: Thu,  14 2005 15:20
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