梵天丸、ここに有り!!

ほら仙台といえば、やっぱり独眼竜でしょう!!(渡辺謙??古!)
本日は仙台本番の<スーパーチェロアンサンブル>…なのに私だけ、友人に付き合って凄ーーーく早い電車だったので、リーダーの丸山さま<仙台二高出身者>がお父上にお願いして、ご自宅で休ませて下さったのです。で、迎えの車の中で「今まで何度も何度も仙台に足を運びながら、知っているのはダテの牛タンとエイタロウの生ドラ(最高に美味しい、特に胡麻味)だけ…」と哀れな発言をしたら、紳士な父上が気の毒に思って青葉城跡に連れて行って下さいました!
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格好いいでしょ?やっぱり!愛姫(めご)は何処に??
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知らなかった、青葉城って戦争で焼けてしまったのですね。あと、立派な天守閣がそびえ立ってたイメージなのに…無かったのか。お堀の代わりに、深い渓谷に囲まれて誰も攻め込めなかったのが良くわかりました。ふうん
コンサート関係の記事はまたね。写真整理していますから!

Wikipediaによると

江戸時代の仙台城
今の仙台城本丸にあたる青葉山には、国分氏の築いた千代城(せんだいじょう)があった。しかし伊達政宗の叔父である国分盛重が政宗と対立して出奔すると、千代城は廃城となった。
政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。慶長5年12月24日(1601年1月28日)に青葉山に登って縄張りを始め、地名を仙台と改めた。彼が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城で、天守は持たない。これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は同時代に比類ない堅城となった。
しかし世が泰平となると、山上と麓の往来は不便であったため、伊達忠宗が寛永14年(1637年)に二の丸造営に着手し、翌年完成させた。本丸と同じく広瀬川の内側にあるが、土地は平坦な場所である。伊達家の当主はここに居住し、政務もここで執られた。時期は不明だが、これと前後して大手門脇、青葉山の麓に三の丸が作られた。
江戸時代を通じて、仙台城は火災や地震により何度か建物や石垣の一部を失い、そのつど再建された。戊辰戦争でも仙台が戦場になることはなかったため、仙台城は創建以来一度も攻撃を受けずに要塞としての役目を終えた。


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Category: Diary コンサート
Published on: Fri,  07 2005 17:16
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